寿司女とバナナ男

日韓米のカルチャーもやもや

好奇心の方向

私は今の仕事をはじめてから思う、というか、思い出した事がある。

 

私は子供の頃、12歳ぐらいまでは

好奇心旺盛で、自然のなりたちへの興味がつきない子どもだった。

 

三鷹の国立天文台のオープンハウスに毎年行って

質問コーナーで化石みたいに座ってるおじいちゃん研究者に

困らせるような質問したり

 

百科事典の鉱物のところを穴があくほどみたり

 

自由研究でいろんなものにカビをはやして観察して学校代表になったり

 

一番すきな学研偉人マンガの偉人はキュリー夫人と野口英世で

今でもそらで台詞が言えるぐらい読みいったり

 

した。

 

中2ぐらいになって、自意識が芽生えはじめてから

私の興味全般は一気に「物事」ではなく「人間」になった。

で、それまでの自然への関心を一気に失っていった。

 

あの人は今、何を考えてるんだろうとか想像してみたり

昔の人は、何を考え、感じてたんだろうとか、古典や小説を読んで感じ入ったり

なんで、人間同士のグループ同士で

差別や理不尽なことが世界中で、起こっているんだろうとか考えたり

そういう事を考える、そっちのほうが面白いと思えた

 

それが文系と理系の分かれ道と

ざっくり言ってしまえばそれまでだけど

 

今の仕事してて、というか社会にでてから仕事初めてからだけど

私は一度失いかけた12歳頃までの感受性を取り戻しつつある感じがするな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ひきこもり

従兄弟が第一志望の大学に合格したというメールが母から入った。

離れて暮らしてはいるけど、とってもいい子なので、自分のことのようにうれしい。

あんなに小さかった従兄弟ももう大学生だ。

 

私は高校に入ったあと、3年引きこもって、大学に入ったので

親の心配たるやひどかったと思う。

迷惑かけたな。

逆にいうと高校まではいい子ちゃんだったのだけどね。

なので今日は従兄弟の朗報を聞いて、自分の暗黒時代を思い出した。

 

今思い返しても、恥ずかしい過去だけど

繊細で神経質な子だったなとしか振り返れないな。

 

 

 

矯正中

夫の保険が降りるので歯科矯正を始めた。

 

先週、下の歯を抜いてきた。

 

抜いた歯の色が綺麗でついしげしげと眺めてしまう

 

アイボリーってやっぱり光をたたえた艶々の質感があってはじめて、くすみが深みにかわるんだな〜などと思った。

 

 

 

客人

今は香港で働く夫の親友が、旧正月休みに日本に観光に来たので

一緒に赤坂でご飯を食べた。

フィリピン生まれ台湾育ち、教育はアメリカ、という彼は

私が聞いていて照れくさくなるぐらいのザ・親日家で

YOUは何しに日本へ、あたりの番組に御出演頂くにはもってこいの人材だ。

 

香港のカオスぶりやマナー悪い中国人への悪口() で

ひとしきり盛り上がったりして楽しい時間を過ごしました。

 

もうちょっと英語がしゃべれたらなあ^^;

 

夫も彼も国際色豊かなバックグラウンドがあるけど

けっこう彼ら自身はそのことをなんとも思ってないというか

自分は自分、みたいな感じ。

私はそこに憧れを見てしまうけど軽くいなされちゃうんだよね、いつも

人からの憧れ目線をうまく内面化させて自分のこと説明する日本在住の外国人って

多いような気がするんだけど ドミニク・○ェンさんとか・・・

 

こんなに賢くて優しいあなたが大好きで憧れの国・日本が

ずっとこのままであってほしいなあと感傷的に思うなあ

 

 

 

 

 

 

日本人化。

私の住む都内のマンションには外国人(特に白人系)が多く居住している。

 

時々、エレベーターで彼らと居合わせるとき、彼らの日本人的よそよそしさに

私が落ち着かない気分になることがある。

 

ある日、私は夕食のテイクアウトカレーを提げて、ある白人男性とエレベータに

乗り合わせた。

カレーのおいしそうな匂いに満ちるエレベータ。

これがもしカリフォルニアなら。。。

「いいにおいだね、私もおなかすいた!」

ぐらいはいわれるかも。もっと饒舌な人なら、どこで買ったのか教えて、とか聞くでしょう。

でも何の会話も突っ込みもなく、日本風の、相手の邪魔をしない沈黙のまま私はエレベータを降りたのだった。

やっぱり人間って環境だな。

 

 

 

李光洙 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印

 

李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 (中公新書)

李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 (中公新書)

 

 

finalventさんの極東ブログで紹介されており、面白そうだったので読んでみました。

 

[書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子): 極東ブログ

 

李光洙は「韓国の夏目漱石」と呼ばれ、「無情」などの著作が有名。韓国の近代文学の発展に大きく貢献しました。若かりし頃、日本に留学し早稲田で学び、その後日本語と朝鮮語で多くの著作を残しました。朝鮮の独立運動で活躍しますが、途中から転向し、日本に協力的な姿勢を取ります。しかしそのために解放後は親日派として糾弾され、北朝鮮に連れ去られ消息を絶ったといいます。

本書を読了し、2点のことを思いました。

1つは、中国・韓国の近代文学の発展には、日本の影響が大きいこと。これは、普通に日本史を学校で習っていても、意外と得難い視点だと思います。だから日本って凄いんだー、みたいな安直な感想もアレですが、当時の日本の先進性ってすごかったんだなー、とは素直に思いました。

 

2つは、李光洙をどう見るか、ということの無意味さ。これには、finalventさんの書評に改めてしみじみと共感しました。以下、引用します。

 

一つは、ひどい言い方だが、李光洙をどう見るべきだろうか、として焦点化して見る必要はないのではないか、ということだ。彼はけっこう気まぐれな感情で行き当たりばったりに生きて、そしておそらくイケメンの典型的な人生の影響もあって、まあ、結果的にそうなった、そしてそうなったことが時代というものだったなあ、ということでも言いように思えることだ。
 めちゃくちゃなことを言うようだが、誰の人生も、早世で余程明確な意志がなければ、後半生に至って、些細な支離滅裂さを覆う凡庸のなかに収束するものだ。むしろその凡庸さの自覚のなかで、何を築き上げたかという達成が問われるが、その意味では、李光洙は韓国近代文学を作ったということだし、それはもっと卑近に言えば、現代の韓流物語の枠組みを作ったということもあるだろう。

彼がどれぐらい愛国者だったのか、どれぐらい反逆者だったのか、日本にどれぐらい親しみや敬意を、あるいは脅威を抱いていたのか、アジア解放という大東亜戦争の大義名分にどれぐらい共感してたのか、またはその態度はあくまでフェイクだったのか・・・なんてことを検証するのは、重要なことではないのだと思います。

その行動のひとつひとつにぶれない明確な彼の意志があったのかというよりは、彼は韓国併合といった大きな時代の変化にうまく「適応」して生き、その意味でそれなりに平凡に生き、その平凡さの中で偉大な著作を記したことに重要性があるのでしょう。

それにしても、李光洙という1人の聡明な朝鮮人の人生を通してみる日本史は、非常に面白く、説得力があります。ここ数年で読んだ韓国・朝鮮半島関係の書籍のなかでは最も面白いもののひとつでした。

 

 

プログラミングバカ一代

 

プログラミングバカ一代 (就職しないで生きるには21)

プログラミングバカ一代 (就職しないで生きるには21)

 
プログラミングバカ一代 就職しないで生きるには21

プログラミングバカ一代 就職しないで生きるには21

 

 

 

タイトルの惹きに寄せられて、手に取ってみました。

日本のゲーム業界を牽引、誰でもわかるビジュアル言語enchantMOONを開発し近年はプログラミング教育もリードする、敏腕プログラマーの半生をつづった自伝的なエッセイです。

筆者は高校時代にすでに雑誌に連載を持ち、それを契機としてドワンゴやマイクロソフトのそうそうたる面々と出会っています。幾度か失敗しながら、起業し、夢である「僕の人類補完計画」(世の中の多くの人をプログラマーにする)を実現するため、壁を乗り越えてスゴいやつらに会い、またレベルアップしていきます。

本書を読む感覚は、まさにRPGゲームをプレイしているようでした。少年の頃、「天才」と称されたことに縛られてしまっている・・・なんて主役張るにぴったりのトラウマです。

中盤でGPUを一般化した偉人アラン・ケイと出会い、語り合うところなどは、まるでDISC1からDISC2にディスクを入れ替えるときのような、一つのエピソードが終わった感と静けさが漂っています。

そして終盤で天才中学生のプログラミングを見てあっと驚かされる場面などは、筆者の意思を継ぐように、次世代の若者たちが、この筆者の物語を継承していくという未来を予感させるものでした。

enchantMOONやMIT開発の子供向け言語Scratchなど、私も門外漢ではありますが、プログラミング教育には関心を持っているので、著者の他の書籍も手に取ってみようと思いました。