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李光洙 韓国近代文学の祖と「親日」の烙印

 

李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 (中公新書)

李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印 (中公新書)

 

 

finalventさんの極東ブログで紹介されており、面白そうだったので読んでみました。

 

[書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子): 極東ブログ

 

李光洙は「韓国の夏目漱石」と呼ばれ、「無情」などの著作が有名。韓国の近代文学の発展に大きく貢献しました。若かりし頃、日本に留学し早稲田で学び、その後日本語と朝鮮語で多くの著作を残しました。朝鮮の独立運動で活躍しますが、途中から転向し、日本に協力的な姿勢を取ります。しかしそのために解放後は親日派として糾弾され、北朝鮮に連れ去られ消息を絶ったといいます。

本書を読了し、2点のことを思いました。

1つは、中国・韓国の近代文学の発展には、日本の影響が大きいこと。これは、普通に日本史を学校で習っていても、意外と得難い視点だと思います。だから日本って凄いんだー、みたいな安直な感想もアレですが、当時の日本の先進性ってすごかったんだなー、とは素直に思いました。

 

2つは、李光洙をどう見るか、ということの無意味さ。これには、finalventさんの書評に改めてしみじみと共感しました。以下、引用します。

 

一つは、ひどい言い方だが、李光洙をどう見るべきだろうか、として焦点化して見る必要はないのではないか、ということだ。彼はけっこう気まぐれな感情で行き当たりばったりに生きて、そしておそらくイケメンの典型的な人生の影響もあって、まあ、結果的にそうなった、そしてそうなったことが時代というものだったなあ、ということでも言いように思えることだ。
 めちゃくちゃなことを言うようだが、誰の人生も、早世で余程明確な意志がなければ、後半生に至って、些細な支離滅裂さを覆う凡庸のなかに収束するものだ。むしろその凡庸さの自覚のなかで、何を築き上げたかという達成が問われるが、その意味では、李光洙は韓国近代文学を作ったということだし、それはもっと卑近に言えば、現代の韓流物語の枠組みを作ったということもあるだろう。

彼がどれぐらい愛国者だったのか、どれぐらい反逆者だったのか、日本にどれぐらい親しみや敬意を、あるいは脅威を抱いていたのか、アジア解放という大東亜戦争の大義名分にどれぐらい共感してたのか、またはその態度はあくまでフェイクだったのか・・・なんてことを検証するのは、重要なことではないのだと思います。

その行動のひとつひとつにぶれない明確な彼の意志があったのかというよりは、彼は韓国併合といった大きな時代の変化にうまく「適応」して生き、その意味でそれなりに平凡に生き、その平凡さの中で偉大な著作を記したことに重要性があるのでしょう。

それにしても、李光洙という1人の聡明な朝鮮人の人生を通してみる日本史は、非常に面白く、説得力があります。ここ数年で読んだ韓国・朝鮮半島関係の書籍のなかでは最も面白いもののひとつでした。