寿司女とバナナ男

日韓米のカルチャーもやもや

呉〜宮島旅行

高校を卒業したての19歳の3月に、広島市内の親戚の家に遊びに行った。

その頃私は東京の高校を卒業したばかり、学校にはあまり行かずにギリギリの単位で高校を卒業して、受験勉強すらしていなくて

あてもなくとにかくやることがなかった。

神経質で、暗いめんどくさい子供だった。

心配した両親が私に一人旅を薦めた。

広島で何をしたか詳細にはもう記憶に残っていないのだが、1つだけ鮮やかに覚えているのはもう今はいない祖父母に連れられて宮島の弥山に登ったことだ。

宮島へはそれまでも子供の頃何度か行った記憶があるけど、有名な鳥居の前で写真を撮っただけで、弥山へ登るのはその時が初めてだった。今になって思うと弥山こそが宮島のメインイベントなのに。

弥山は以外と本格的な山道で、宮島観光のついでと思って登ると、けっこう苦労する。足の速い2人は私を差し置いてずんずんと進んでいき、私は弥山がこんなにリアルな登山だとは聞いてなくて、苦労して登った。

京都の修学旅行生が神社仏閣のありがたみを理解できないように

その時の私は宮島の歴史も弥山のありがたみも全く知らなかった。

乗り気でない登山だったけど、ただ頂上の空気が澄み切っていたのを覚えている。

 

それから13年の時が流れて、私はもう一度弥山へ登った。

ようやくこの地がそれはそれは古くから神様に愛され、歴代の権力者に愛された、とんでもなく神聖な土地だということを知った。

とはいえ、この島には悠久の歴史が流れていて、私が13年かけないと理解できなかった

その時間なんて、屁でもないんだろうなと思った。それどころか、人間同士の争いごととか、何年かけても解決しない揉め事なんてことも、多分、ちっぽけなことなのかもしれないと思った。

 

祖母がお嫁に行くまで生まれ育ったという呉にも、大人になって初めて行った。

映画「この世界の〜」で一躍注目を浴びる呉のことは気になっていた。

あの映画と大和ミュージアムの展示を見て、日本人の間でこれからも脈々と語り継がれる、歴史とはまた違う、THE日本物語みたいなものを感じた。

美しく誇り高い敗者と、あまりある犠牲のお話、のようなもの。それもあまりドラマティックな語り口じゃなくて、とても静かな口調の。

これがずっと語り継がれて、いろんな形でこれからもアーティストに表現され続けていくんだろう。