寿司女とバナナ男

日韓米のカルチャーもやもや

結婚式のとき考えていたこと

 数年前、自分の結婚式をやったとき、このキレイなドレスや着物は、なぜこんなにもキレイなのか、なぜみんな綺麗な恰好して、綺麗な皿に盛られた美味しいものを食べて、私たちをそこまでして祝うのか、という理由を考えていた。理由は、それが長く苦しい道のりを歩く決断をしたことへのお祝いなんだろうなということをアタマの上では考えてみたけど、それは机上の空論のようで実感がわかなかった。

 そうか、きっと綺麗なほどに結婚生活は苦しいものなのかなあ、なんて思ってみたけど、頭でっかちな思考実験のようで、まあこれ以上考えるのはやめよう、となった。高校生のときに人生崖っぷちの主婦が殺人を犯す小説を読んで、主婦の気持ちを想像しようとしている感覚に近かった。

 同時に、すごく小さい子どもだったころ、自分の祖父母が自分に対して無条件で優しいのはなぜなんだろう? と疑問に思っていたことを思い出した。どうして私になんでも買ってくれて、好きなものを食べさせてくれて、それでいていつもニコニコ笑っているんだろう?って。私は彼らに対してお金やモノをあげているわけでもないのに、どうして遊びにきただけでこんなに嬉しそうなんだろう?と。無償の愛というものがまだ理解できなかった子どもの頃。その重さすら知らなかった幸せな時代。

 そう思うと、結婚式があんなにキラキラしている理由は、自分たちへの祝福というのもあるけれど、それ以上に、親のこれまでの無償の愛への祝福なのかもしれないなと思った。そう思うほうが、私の机上の空論よりもよほど良いだろう。