寿司女とバナナ男

日韓米のカルチャーもやもや

人工知能は人間を超えるか ディープラーニングの先にあるもの

 

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)

人工知能は人間を超えるか (角川EPUB選書)

 

 

前回読んだ人工知能の入門書本が、研究者ではなくプロのライターによる、ビジネスマンに向けて書かれたビジネス寄りの実践的な本だった。そのため、世界のグローバルIT企業様の最新研究開発動向とかカッティングエッジな企業の買収劇とか各国の競争とそこに立ち後れちゃってる系日本やばっ☆という感じの煽りを全身で受けとめてめっちゃ意識高い高いされましたぱしゅまるです。

 

一方で本書は研究者によって書かれた入門書ですので、「人工知能とは何か」というそもそも論を最初に持っていてくれたのが非常にわかりやすかったし、自分ごととして説明してくれている点の説得力がありました。好きだから語る、だからこっちもずっと聞いてたいみたいな。にもかかわらず人工知能の限界を説きつつリスクについても解説する筆者のバランスのとれた筆致に好感を持ちました。

以下の4つの人工知能についてのレベル分けは、混乱していた私にとってとても助けになりました。

#1 単純な制御プログラムを「人工知能」とマーケティング的に称している段階

#2 将棋プログラムや掃除ロボット、質問に答える機能など、入力と出力の組み合わせが極端におおい、古典的人工知能

#3 推論の仕組みがビッグデータをもとにしているもの。検索エンジンに内蔵されているもの。いわゆる機械学習(サンプルとなるデータをもとに、ルールや知識を自ら学習するもの)と呼ばれているもの。

#4ディープラーニング。機械学習をするさいのデータを表すために使われる変数じたいを学習するもの。今もっともホットな領域。

また、「すでに実現したものはそれをもう誰も人工知能とは呼ばなくなる」というのも言われてみれば目から鱗でした。メールのフィルタリング機能を人工知能とかだれもいいませんものね。

 

誰でも読んでわかる、より本質的な意義を問う本だったと思います。

 

火山はすごい 千年ぶりの「大地変動の時代」

 

火山はすごい (PHP文庫)

火山はすごい (PHP文庫)

 

著者からの献本が勤め先に届いていたので、読んでみた。

本書は、2002年の同著の内容を大幅に加筆した改訂版。阿蘇山、富士山、雲仙普賢岳、有珠山、三宅島の噴火についてのほか、その後に起きた東日本大震災や御嶽山の噴火について、火山のしくみや噴火予知・火山学の手法の紹介を交えながら著者の体験をもとに語られる。

 

火山の噴火は、少なくともまだ現在の火山学では完全に予測できない。ときに噴火で多くの死者が出る。そこに理由も必然性もへったくれもあったものじゃなく、その時間にその場にたまたま居合わせた人がほんとうにただ偶然に亡くなる、あまりの人間のちっぽけさを、私もそうだが、昨年の御嶽山の噴火で少なからぬ人が改めて思い知っただろう。

一方で、噴火でおこる「岩なだれ」が海に注いで新しい島々をつくりあげたり、マグマによってできた新しい山が観光資源となったり(昭和新山など)、マグマの熱によって温泉が湧き出たりと、火山は多くの恵みを人間にもたらす。それを享受してきたのが日本列島に生きる人々というわけである。

 

著者は、過去から未来をとくヒントがあるといいながら、科学には限界があるとも言う。知識は必要だが、その知識に全面的に頼ってはいけないとも説く。この辺りは少し、ダブルスタンダードと感じる人もいるのかもしれない。有珠山のようにある程度成功したケースもあるとはいえ、噴火予知なんてちっともできてないじゃないかと、火山学者に罪悪感を期待する人もいるのかもしれない。そのような意地悪な考えには耳を貸さず、研究に邁進してほしいと願う。予知の研究成果は、例えば御嶽山の噴火後に、自衛隊や消防隊の安全な活動時間を確保するうえで役立っていることなどは本書にあげられているとおりだ。

 

著者の一般への熱心な啓蒙活動にはいつも頭が下がる思いである。文章も平易で読みやすい。古文書をひもといて何万年単位で語られる火山のストーリー、山頂が陥没してできる巨大なカルデラのでき方、海をも走る火砕流・・・ダイナミックで壮大なエピソードが満載で、恐ろしくも美しい火山を誰しもが味わうことができる1冊であろう。

 

 

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か

 

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

AIの衝撃 人工知能は人類の敵か (講談社現代新書)

 

 

人工知能についての入門書を探しており、読んだなかの一冊です。すでに感想はいろいろなところで出ていますので、概要などは他を読んでいけばわかるかと思います。

脳科学の研究成果がAI開発へと導入され、コンピュータが音声や画像を認識するための「パターン認識能力」を飛躍的に高めることに成功した、というところが、人口知能を理解するうえでのまず第一歩、なのではと思います。つまり、膨大にある情報の中から、ある特徴を発見できること、そしてその能力は人間の脳の研究成果の結果である、ということです。

2012年、グーグルはスタンフォード大学のエン教授と共同で、このディープラーニング技術を使い、YouTube上の大量の動画を教科書代わりにして、自力で「猫」や「人」の顔などの視覚的な概念を学習。この成果にもとづき、コンピューター画面上にそれらのイメージをゼロから描いたといいます。

このような技術が、今、グーグル、Facebook、マイクロソフト、IBMなどの世界的IT企業が、先を争うように開発を進めている最先端のAI、というわけです。当初の「パターン認識」にとどまらず、今後は「自然言語処理」「ロボット工学」など、さまざまな分野への応用が期待されています。

本書は、グローバルIT企業の最新の研究内容の紹介が多く、総論的に今、何がおこっているか知るには最適の書だと感じました。

歴史や未来も語られますが、基本的には、人工知能が、どうビッグデータの中からビジネスでお役立ちな情報を集め、それがどう実践的なビジネスに役立つか、というところに焦点が当たっている印象がありますので、とりわけビジネスマンは読んでいて、アイデアが得られる本なのではないかと思いました。著者は人工知能の研究者ではなくあくまでジャーナリストとして人工知能に中立的な立場なのも好印象でした。

一般人向けの人工知能の総論的な入門書としては、「人工知能は人間を超える」が面白かったですので、次はそちらの感想を書こうかと思います。

黒い迷宮:ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実

 津田マガやcakesで、ライターの速水健朗さんが「絶歌」と比較する形で紹介していたので読んでみました。

黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (ハヤカワ・ノンフィクション)

黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実 (ハヤカワ・ノンフィクション)

 

 2000年7月に行方不明となった英国人女性ルーシー・ブラックマンさん。

ごくふつうの若い女の子であった彼女は、お小遣い稼ぎのために来日し、六本木でホステスとして働いていました。

彼女を殺害したのが、織原城二という男。

それまでも、何人もの白人女性を薬物で眠らせた上でレイプしていました。

異国の地でかえらぬ人となった愛する娘を探すブラックマン一家の闘い、アウトサイダーが集う六本木という街、硬直した日本の警察組織、そして織原の過去について、来日20年超の英国人ジャーナリストが描いていきます。

 

どなたかのブログで拝見した本書の感想で、

日本人AV女優の蒼井そらが中国・韓国で人気な理由と、

日本人男性が白人女性を六本木でかしづかせ、それを楽しむことを

同列に語っていたのを読み、なるほどなと思いました。

世界には圧倒的なパワーの序列がある。序列の高いグループの女性をもてあそぶ気分を味わう、倒錯的な娯楽が男性の世界には必要とされている、求められているのだということを、あらためて理解しました。彼らが生きている上で自然と負う、傷ついたプライドを癒すために。

本書では織原が日本に帰化した在日韓国人2世であることから、いわゆる「在日」の問題が語られていますが、それも、日本社会のパワーの序列、という文脈で私は解釈しました。

 

「ルーシー・ブラックマンが殺されたのは、彼女が愚かだったのではなく、単なる偶然だった」

と本書で著者は、結論づけているいっぽうで、犯人の織原城二の動機については、著者はそこまで踏み込むことなく終わります。

もしこれが佐野真一のノンフィクション、もしくは高村薫のクライムノベルならば、もっと彼の動機を、著者の想像力で補完してみたり、いろいろな推論で踏み込みそうな気もします。在日を弱者として描き、その負の側面のアウトプットとして殺人に至った、みたいに。

 

そうはならない本書の、ドライな距離感は心地よいものでした。

一方で、どこか物足りないような気もする。

その物足りなさの要請で、佐々木俊尚さんがいう「マイノリティー憑依」なる物語が生まれたのかしら、と思います。

 

重厚な本でしたが、土日かけて一気に読み終わってしまいました。

私はかつてg2を購読するような大学生で、ノンフィクションを読むのは好きだったはずなのですが、

昨今、世間ですっかり忌み嫌われているサヨクっぽさを、私も同様にあまりよく思っていないことから、サヨクっぽい著者満載ジャンルともいえるノンフィクションを読むことから、しばらく遠ざかっていました。あるいは過去の自分の黒歴史として封印していたともいう。

でも、このような重厚なストーリーのノンフィクションを読んで、久しぶりに自分が好きだったものを思い出せたような気がしました。